【開発者の眼】「難易度選択」は設計の放棄か、慈悲か?ストIIに学ぶ“上達を強いる”レベルデザインの神髄

コラム

導入:難易度設定という名の「諸刃の剣」

ゲームを開始した直後、私たちの前に立ちはだかる最初の選択。それはラスボスでも分岐ルートでもなく、「Easy / Normal / Hard」という難易度選択画面です。

プレイヤーとして遊んでいる分には、「アクションが苦手だからEasyで物語を楽しもう」といった恩恵を感じる場面も多いでしょう。しかし、一歩「開発者」の視点に立つと、この数行のメニュー実装には、血を吐くような葛藤と設計思想の対立が隠されています。

「全てのプレイヤーに門戸を開くべきだ」という“有り派”の意見と、「固定された難易度こそが、制作者が意図した最高の体験(レベルデザイン)である」という“無し派”の意見。果たして、ゲームデザインとしての正解はどこにあるのでしょうか。今回は、現役開発者としての視点から、この永遠の命題に踏み込んでみたいと思います。

議論の背景:レベルデザインの「放棄」か「最適化」か

まず、なぜこの議論がこれほどまでに熱を帯びるのか。それは、難易度設定が「ユーザー体験の質」に直結するからです。

「有り派」の根拠は明快です。多様化する現代のプレイヤー属性に対し、一本道の難易度を提供するのはリスクが高い。せっかく買ったゲームが難しすぎて序盤で挫折されることは、開発者にとってもプレイヤーにとっても不幸です。

一方で、「無し派」が主張する「任意の難易度設定はレベルデザインの放棄である」という言葉も、設計者としては痛いほど分かります。本来、開発者が提供すべきは「絶妙なバランスで壁を乗り越えさせるカタルシス」です。それをプレイヤーに委ねてしまうのは、料理人が「味付けが濃かったら自分で薄めてください」と調味料を渡すようなものだ、というストイックな思想です。

私の見解:ジャンルによって「答え」は180度変わる

結論から言えば、私は「どちらの主張も正しい」と考えています。ただし、それはゲームのジャンルとシステムに強く依存します。

1. RPGに難易度設定は不要である

設計者の視点で見れば、RPGにおいて難易度設定を設ける必要性は極めて低いです。なぜなら、RPGには「レベル(数値)」という解決策がシステムとして内包されているからです。

アクションが苦手なプレイヤーでも、時間をかけて経験値を稼ぎ、キャラクターを強化すれば、理屈の上では必ずラスボスを倒せるようになります。この「時間というリソースを勝利に変換できる」仕組み自体が、RPGにおける可変難易度の役割を果たしているのです。ここに「Easyモード」を足してしまうと、数値を積み上げる喜び(成長のUX)を損なう恐れすらあります。

2. アクションゲームにおける難易度設定の価値

逆に、アクションゲームでは難易度設定の価値が跳ね上がります。アクションは「反射神経」や「動体視力」といった、プレイヤー個人の身体能力に依存する部分が大きいからです。

どんなに時間をかけても、特定の指の動きができない限りクリアできない――この「物理的な詰み」は、エンターテインメントとして致命的です。そのため、敵の攻撃力や判定の持続時間を調整する「難易度選択」は、より多くの人に作品を届けるための“誠実なバリアフリー”だと言えるでしょう。

3. パズルゲームに難易度設定は「毒」になる

しかし、パズルゲームは別です。パズルにおいて難易度を下げることは、往々にして「答えを教える」ことと同義になります。試行錯誤こそが遊びの中核であるジャンルにおいて、難易度を任意で変更できるようにすることは、パズルの根幹である「解いた瞬間のアハ体験」を殺しかねません。

開発者としての結論:大正解は「上達に導くデザイン」にある

ここまでジャンル別の話をしましたが、開発者が目指すべき究極の理想は、「難易度設定に頼らずとも、全てのプレイヤーが自然と上達し、クリアできる導線設計」にあります。

私がその最高の成功例として挙げたいのが、伝説的な格闘ゲーム『ストリートファイターII』です。このゲームの大ヒットの要因は、実は裏側に隠された緻密なレベルデザインにあります。

アーケード版のCPU戦を思い出してみてください。例えば「波動拳」を覚えたプレイヤーは、まずエドモンド本田を飛び道具で制することを学びます。するとその後、同様の攻略法が通用するバイソンが現れる。また、不自然な軌道で飛んでくるブランカを対空技で打ち落とすことを覚えると、後の強敵バルログの空中殺法に対応できるようになる……。

これは「一連のプレイを通して戦い方を段階的に学習させる」という、極めて高度な教育的デザインです。プレイヤーは知らず知らずのうちに、開発者が用意したドリルを解かされ、上達させられているのです。これこそが、メニューで「Easy」を選ばせることよりもはるかに価値のある、真のレベルデザインです。


コラム:小島秀夫監督が語る「恐怖とUX」のバランス

ここで興味深いエピソードを。世界的なゲームクリエイター、小島秀夫監督はホラーゲームのUXについてこう語っています。「ユーザーは怖いものを求める。でも、本当に怖すぎると誰もプレイしてくれなくなる。それでは商品として、作品として失敗である」と。

これは難易度にもそのまま当てはまります。開発者は「手応え(恐怖や困難)」を提供したい。しかし、それがユーザーの受容限度を超えてしまえば、ただの「苦行」になり、コンテンツとして死んでしまいます。私たちは、常に「ギリギリの負荷」を見極める綱渡りをしているのです。


アーケードゲームが教えてくれる「難易度」の別側面

最後に、ゲームセンターにおける「難易度設定」についても触れておきましょう。

家庭用ゲームと違い、アーケードゲームの難易度は「回転率」というビジネスモデルに直結していました。簡単すぎればインカム(収益)が上がらず、難しすぎれば客が離れる。開発者は、基板の設定スイッチ一つでゲームの寿命が変わる過酷な環境で戦ってきました。

この「コインを投じさせるための緊張感」こそが、かつてのゲームが持っていた独特の熱量の源泉だったのかもしれません。現代の家庭用ゲームにおいて「難易度固定」を選択する開発者は、もしかするとこのアーケード的な「真剣勝負」の感覚をプレイヤーに味わってほしい、というロマンを持っているのかもしれませんね。

まとめ:あなたの「心地よい壁」はどこですか?

「誰もクリアできないゲームは、絶対的にNGである」。これは商品開発における鉄則です。

しかし、私は開発者として、単に難易度を下げるだけの「優しさ」よりも、プレイヤーが「気づいたら上手くなっていた」と感じられるような「導き」を設計していきたいと考えています。難易度設定があるにせよないにせよ、大切なのはプレイヤーがその壁を乗り越えた先に、開発者が意図した通りの達成感を用意できているかどうかです。

さて、ゲーマーの皆さんに問いかけます。
あなたは、自分の腕前に合わせて「最適な難易度」を自分で選びたい派ですか? それとも、開発者が用意した「これこそが正解だ」という唯一無二の壁に挑みたい派ですか?

ぜひ、あなたの「こだわり」を教えてください。

執筆:ゲームメディア「スタートダッシュ」専門コラムニスト(現役ゲーム開発者)

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